しかし、よく考えると、「エコ」とは「善」ではない。単に「悪」が少ないだけだ。
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世間では「エコはすばらしいことだ」「省エネはすばらしいことだ」という風潮がひろがっている。
しかし、実際には、「善」であるというより、「悪」が少ないだけだ。
たとえば、
「ハイブリッドのプリウスは、省エネですばらしい。燃料消費も、炭酸ガス排出も、普通の半分ぐらいだ」
というふうに称賛される。しかし現実には、プリウスだって大量のガソリンを消費し、大量の排ガスを排出する。徒歩や自転車や電車利用に比べれば、圧倒的に「悪」である。
レジ袋有料化だって同様だ。レジ袋をやめて、マイバッグを利用したって、それによって無駄な買物を大量にしている限り、ちっとも省資源になていない。レジ袋で5グラムの石油を節約しても、買物に行くために1リットルのガソリンを消費したり、買物の商品そのものに大量の無駄なプラスチックが使われていてゴミになるのであれば、その買物はちっとも省資源になっていない。(むしろ浪費である。)
人は宝人ほどを語った
その伝で言えば、原発も似たようなものである。石油を浪費しないし、二酸化炭素も大量排出しない、という意味では、エコになっている。しかし、余計な熱を海水に排出したり、放射能廃棄物を将来に先送りしたり、建設時にいくらかの資源を使ったり、という意味では、真のエコになっていない。そもそも、何をエネルギー源に使おうが、電力を使うこと自体が、まったく真のエコではない。
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要するに、エコという言葉には、二通りがある。
・ 「エネルギー浪費」という悪を減らす。マイナスを減らす。
・ 「植林」などで環境そのものを改善する。プラスを増やす。
この二つは別のことだ。そう区別しよう。
「プリウスは省エネだからすばらしいんです」
というような言葉の嘘も、ここではっきりする。また、トヨタの「エコ替え」の嘘も、ここでいっそうはっきりする。
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メスティーソとアメリカの違いは何です
ただ、だからといって、「あらゆるマイナスは悪であるから廃絶せよ」と述べているわけではない。私はそうは言っていない。
「悪は悪であると受け入れて、なるべく悪を減らすべきだ」
とは思う。
ただし、それは、「おのれは罪深い存在だ」と理解して、その罪深さを自覚することが前提だ。
一方、「おのれは善なる人間だ」と思い込んで、やたらと「エコ活動はすばらしいことだ」と思い込むようでは、困る。たとえば、「プリウスに乗るとエコになる」と信じて、用もないのにプリウスでやたらと走り回る、というようなことをするのでは困る。
しかしながら、現実には、マスコミはこういう倒錯を推奨している。また、メーカーはこういう倒錯を利用して、金儲けしようとしている。
( → 燃費馬鹿 )
そこで、「エコという嘘にだまされるな」と警鐘を鳴らすのが、本サイトの意義だ。
カルタゴはどこにありますか?
さて。ここまで考えると、「何をなすべきか」「何をなすべきでないか」も見てくる。
なすべきことは、「地球の生態系の保護」だ。具体的には、緑地の保護であり、砂漠化の阻止だ。さらには、さまざまな動植物の保護も含まれる。
なしてはならないことは、「地球の生態系の侵害」だ。具体的には、緑地をつぶすことだ。
ここまで読むと、「当り前だ」と思う読者が多いだろうが、現実には、この当り前のことが理解されていない。むしろ倒錯的なことがなされている。その例が、
「バイオエタノールの推進」
だ。これによって、アマゾンの熱帯林が開墾されて、畑になって、バイオエタノールの生産のために使われてしまっている。地球の生態系は侵害されつつある。それでいて、「バイオエタノールの推進はエコである」という声が多い。
ま、「バイオエタノールの推進のせいで、食料価格が上がる」ということはあるし、そのことで、「バイオエタノールの推進は間違っていた」と反省することもある。
とはいえ、「バイオエタノールの推進は、アマゾンの生態系を破壊するから、善ではない」というふうに主張されることは、稀である。
というのも、人々は、「エコとは何か」を勘違いしているからだ。「ガソリンをやめて、バイオエタノールにすれば、炭酸ガスの排出量が減る」というような計算ばかりをしている。「そのときアマゾンの生態系が破壊される」ということは勘定に入れていない。
結局、人々は、「エコとは何か」を完全に誤解しているのだ。
( ※ 私が思うに、人々のいう「エコ」とは「エコノミー」のことであり、エネルギー費用を節約することだ。それは「エコロジー」ではないのだろう。 )
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